御神徳

石見一宮物部神社は、古来より文武両道の神・鎮魂の神・勝運の神として崇敬されてきました。
御祭神宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)が鎮魂祈祷を最初に行った謂れから、神職の始めを為す神として占い・まじない・祈祷の神の信仰も厚いことでも知られています。

また、戦国時代、石見銀山争奪戦の舞台ともなり、大内氏・毛利氏の戦勝祈願の記録や武具の奉納、天領歴代代官の赴任に伴う報告祈願さらに文芸・武道の上達祈願、氏族繁栄・雨乞い祈願・戦中の砲弾避け等、多種多様の祈祷が為されました。
現在では、鎮魂祈願を中心に病気平癒・交通安全・社業繁栄・厄除け・初宮詣で等、全ての祈願依頼に対応しています。
参拝祈願が原則ではありますが、古来より伝えられる【品々物比禮(なで札)】を使用し、遠方のため参拝困難な方や体の不調のため来られない方のために郵送やFAX による祈祷も受け付けています 。
 

御由緒

御由緒

御祭神宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)は、物部氏の御祖神として知られております。御祭神の父神である饒速日命(にぎはやひのみこと)は十種神宝を奉じ、天磐舟に乗って大和国哮峯に天降り、御炊屋姫命(みかしきやひめみのみこと)を娶られ御祭神を生まれました。御祭神は父神の遺業を継いで国土開拓に尽くされました。

神武天皇御東遷のとき、忠誠を尽くされましたので天皇より神剣韴霊剣を賜りました。また、神武天皇御即位のとき、御祭神は五十串を樹て、韴霊剣・十種神宝を奉斎して天皇のために鎮魂宝寿を祈願されました。(鎮魂祭の起源)

その後、御祭神は天香具山命と共に物部の兵を卒いて尾張・美濃・越国を平定され、天香具山命は新潟県の弥彦神社に鎮座されました。御祭神はさらに播磨・丹波を経て石見国に入り、都留夫・忍原・於爾・曽保里の兇賊を平定し、厳瓮を据え、天神を奉斎され(一瓶社の起源)、安の国(安濃郡名の起源) とされました。

次いで、御祭神は鶴に乗り鶴降山に降りられ国見をして、八百山が大和の天香具山ににていることから、この八百山の麓に宮居を築かれました。(折居田の起源)
 

社殿創建

最初は神体山である八百山を崇めていました。 後に、天皇の勅命により継体天皇八年(513年) 社殿を創建し、その後、石見銀山争奪の兵火などで三度消失しました。

宝暦三年(1753年) 再建され、文政元年(1818 年) の修理を経て、安政三年(1856年) 宝暦時の規模で改修され現在に至っています。(現在、県指定文化財) 春日造では全国一の規模です。

物部神社の御神紋「ひおい鶴」

物部神社の御祭神「宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)」はこの石東の地を平和な豊かな地域とするため、鶴に乗って御降臨されました。その山を鶴降山といい、山頂には今も国見をされた場所と伝えられる遺跡が保存されています。この国見をされたおり、平和な穏やかな里「安濃郡( 旧 大田地方)」と名づけられました。 この鶴に乗って勝運を運んできた神にちなんで真っ赤な太陽を背負った鶴を全国で唯一この物部神社の御神紋と定められました。